コラム
2026.01.15
主従は、より幸せになるための手段
これは「手段である」というより、そうしようと意識し、努めている、という表現が正しいかもしれない。
主従関係、または調教という営みは、それぞれのニーズや欲求を満たす場であることは間違いない。あの独特の緊張感、服従のなかにある開放感。そういうものの充足が、主従でしか得られないと感じている人はきっとたくさんいる。ただ、主従を「目的地」にしてしまうのは自分の場合は好ましくない。
たとえば共依存。お互いの傷を舐め合い、引っ張り合い、どちらも前に進めなくなっていく。そういう形の主従を、良しとは思わない。
もちろん、相性のあったドミナントとサブミッシブが出会ったときの引力は、本当に凄まじいものがある。一種の依存に近い感情が生まれることも知っている。その感覚は、なんとも言えない心地よさがあり、主従の醍醐味のひとつでもある。
でも、その心地よさを享受しながらも、あくまでも軸となるのは表の世界であるのが望ましい。主従という関係を裏側で営んで、お互いが今をより豊かに、より満たされた気持ちで生きていられる。それが、自分のなかの理想の主従像。